【幼少期のぱなしの習い事や成績 公文は医学部受験の土台になった】

ぱなしは、小さい頃からとにかく活発で、話す事が大好きなシュレックに出てくるドンキーのような子でした。

シュレックのように 「1分でええから!」と毎日のように思っていた程でしたが体は強くなく、すぐに熱をだしていたので体を強くする為に水泳だけ習い事をしていました。

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やっててよかった!くもんは医学部受験の土台になった

朝から夕方までずっとお友達と鬼ごっこやドッジボール、サッカーなど小学生の頃は本当にずっと運動の毎日でした。

のんきな性格の私は水泳だけ頑張ってくれればと考えていましたが

ある日公園でママ友が

「あそこの公文の先生〇〇大学出身らしいよ。おばあちゃん先生やけどすごく人気みたい。体験行ってみいひん?」

と誘ってもらって、ママ友の付き合いみたいな感じで気軽に行った事がきっかっけでしたが、今となっては、この公文がぱなしにとって医学部受験を戦うとても大きな土台になったように思います。

公文をあまり詳しくない私ははじめ、月謝も安くないし1教科だけやってみようか。

教科は公文といえばやっぱり算数!と思っていたらママ友が

「最初はやっぱり国語が大事やって。国語ができひんかったら問題の意味がわからへんからやって。」

と教えてくれたので単純な私は「なるほど!じゃあ国語もいるのか」と、なり2教科だけ小学校2年生から始めることになりました。

とは言ってもぱなしは勉強が好きではないし真面目なほうでもなく、隙あらばさっぼってやろうと考える子だったので、国語の小説はほとんど読まず、公文に行ってから1時間少しで

「お父さんが迎えにきて待ってるから帰らないとあかんねん。」

と先生に言い放って帰ってきていた事を公文をやめた中学3年生の頃に聞きました。

もちろん父親は早く帰っておいでなど言ったことはありません。

くもんで勉強する習慣がついた

こんな不真面目な感じで公文をしていたのに、どうして医学部受験の土台になったと思ったのかというと

公文の宿題がある事で家で少しの時間でも机に座る時間、家で勉強をする習慣がついた事でした。

評判の公文のおばあちゃん先生が言っていた事。

「小学生の間は勉強が出来る事より勉強の習慣をつける事が1番大切!」と。

その言葉を信じ、公文の宿題だけは、毎日やってからゲームしような。と約束をする事でやる気のない日でも文句を言いながらでも殴り書きの汚い字でも公文だけはこなせるようになり、時間にして1時間くらいでしたが家での勉強習慣がつきました。

公文だけは毎日続けたので、自分の学年より3学年先に進んでいる教科があるともらえるオブジェをもらうことが出来るようになりました。

公文と学校の宿題だけをこなす毎日だったので成績はクラスでも真ん中くらいで、得意な教科もあれば不得意なところもある、体育だけは先生に褒められるが絵は致命的で美術は苦手、

そんな子供でした。

小学校と中学の成績

中学1年になってすぐの成績は本当にふっつーて感じでした。

この頃、公文と水泳の月謝をあわせて18000円程かかっていたので私はパートを始めました。

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